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おせち料理の由来と歴史を知ろう

公開日時:2018/08/22 10:00  更新日時:2024/10/01 12:05

おせち料理の由来は、豊作などに感謝して神様に供える「節供」に関係しているといわれています。日本の風習であるおせち料理の由来や意味、歴史を知りましょう。

おせち料理とは?由来や意味について

おせち料理の始まりは、節といわれる季節の変わり目ごとに、豊作を感謝して神様にお供え物をした「節供」に由来しています。お供え物として作物で作った料理が、おせち料理の始まりです。

五節句とは?

五節句の「節」とは、もともとは中国の唐の時代に暦法で定められた季節の変わり目で、邪気を払う日でした。日本では人日(じんじつ)、上巳(じょうし)、端午(たんご)、七夕(しちせき)、重陽(ちょうよう)という節日に、邪気を払う宴会が宮中で催されるようになり、五節句と呼ばれるようになりました。

おせち料理の種類とそれぞれの意味・いわれ

食材・料理 意味
黒豆 邪気を払い、勤勉に働くことや健康で丈夫に過ごせることを願う。
数の子 ニシンの卵である数の子は数が多いことから子孫繁栄を願う。
田作り 片口イワシを撒いて豊作となった田畑があったことから、五穀豊穣を願う。
紅白かまぼこ 半月かまぼこは日の出を表す。赤は慶び、白は神聖の意味を持つ。
昆布巻 「喜ぶ」にかけて縁起をかつぎ、健康長寿を願う。
伊達巻 しゃれた身なりの伊達者にカステラかまぼこが似ていたことに由来。書が巻物にされていたことから、知識が増えることを願う。
栗きんとん 黄金色をしていることから財宝にたとえられ、金運を呼ぶ。
煮しめ 土の中で根を張る根菜が中心で、末永い幸せを願う。

おせち料理は、ひとつひとつの料理に意味が込められています。おせち料理の意味については、「おせち料理の意味と種類」で詳しく解説しています。

おせちのはじまり・歴史

おせち料理は弥生時代に中国から伝わったことに始まり、江戸時代後期に現代に近い形になっています。おせち料理はどのような歴史をたどって、生まれたのでしょうか。

おせち料理のはじまりは弥生時代から

おせち料理の起源は、弥生時代まで遡ります。
稲作が縄文時代の終わりに中国から日本に伝来し、弥生時代にかけて広まったことで、狩猟中心の社会から農耕中心の社会へと変わりました。中国から「節」を季節の変わり目とする暦ももたらされ、節ごとに収穫を神様に感謝して、「節供」といわれるお供え物をする風習が生まれたのです。
「節供」として供えた作物を料理したものは「御節料理」
と呼ばれ、おせち料理のもとになったとされています。

おせちが定着したのは奈良時代から平安時代

弥生時代では風習であったおせち料理が定着したのは、奈良時代から平安時代の時期に、節の儀式が宮中行事として執り行われるようになったことによります。唐の暦法にもとづいた節目の日である節日に、邪気を祓い、不老長寿を願う儀式として「節会(せちえ)」が催され、「御節供(おせちく)」と呼ばれるお祝い料理が振る舞われました。特に、五節句の日に開かれる節会は重要視され、五節会と言われていたといいます。

平安時代に五節会が開かれたのは、1月1日の元日と1月7日の白馬(あおうま)、1月16日の踏歌(とうか)と1月の3回に加えて、5月5日の端午(たんご)、11月の豊明(とよのあかり)に開かれていました。
この時代は正月料理という位置づけではなく、五節句のお祝い料理すべてが、「御節供」と呼ばれていました。

おせちがお正月の定番として受け入れられ始めた江戸時代

江戸時代になると、五節句は祝日として定められ、幕府の公式行事として位置付けられました。江戸時代は人日の節句は1月7日、上巳の節句は3月3日、端午の節句は5月5日、七夕の節句は7月7日、重陽の節句は9月9日です。

そして、庶民の間にも「御節供」が民間行事として広まったことで、1年に5回ある節句で豪華な料理がふるまわれるようになっていきました。
そして、五節句のうち新年を迎える最も重要な人日の節句の料理が、正月料理として定着しました。山や海の幸がおせち料理に取り入れられるようになり、江戸時代後期になると、現代のように料理一つひとつに意味が込められ、新年を祝うために食べるものとなりました。また、大みそかにおせち料理を作り、お正月に家族揃って食べる風習も生まれています。

また、おせち料理が重箱に詰めるスタイルとして確立したのは、江戸時代末期から明治時代にかけてのことです。重箱は、室町時代にすでに存在していたことが文献から分かっています。
江戸時代の初期から中期にあたる寛永から元禄の時代は、酒宴では重箱が用いられていました。しかし、寛永の後の宝永の時代になると、徐々に硯蓋(すずりぶた)といわれる盆状の器が用いられ、おせち料理もお膳に乗っていました。ところが、再び江戸時代末期になって硯蓋が使用されなくなり、おせち料理は重箱に詰めるのが一般的になったのです。

おせちが重箱に詰められるようになった理由はいくつかあり、一つは「箱を重ねる=めでたさを重ねる」という意味によるものです。また、重箱に詰めることで場所をとらない、重箱に入れておくとお客様に振る舞いやすいといった理由も挙げられます。

「おせち」と呼ばれ始めた第二次世界大戦後

「おせち」と呼ばれ始めた第二次世界大戦後

おせち料理は江戸時代末期には現代のものに近い形になりましたが、「おせち」と呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。それまで、おせちは、「食積(くいつみ)」、あるいは、「蓬莱」と呼ばれていました。

おせち料理は家庭で作られるものでしたが、終戦後はデパートで重箱入りのおせちが売り出されるようになりました。「おせち」という名称で売り出されたことが、広く一般的に「おせち」と呼ばれるようになったきっかけです。

現代ではおせち料理は伝統的なものだけではなく、洋風や中華風、和様折衷の料理が盛り込まれるなど、バラエティ豊かな商品が販売されています。有名シェフや有名レストランのプロデュースによる商品など、高級感あふれる商品もあります。
また、百貨店やスーパー、ネット販売など、様々な方法でおせちを購入できる時代になりました。
夫婦2人世帯など少人数向けの商品も展開されるなど人数や嗜好に合わせて、おせちを買いやすくなっています。また、自分で作ったものと購入したものを組み合わせて、重箱に詰めることも一般的です。

さいごに

おせち料理の歴史を振り返ると、節といわれる季節の変わり目に神様に収穫を感謝する風習の「節供」が起源です。
奈良時代から平安時代にかけて「節会」として宮中行事となり、「御節供」が振る舞われ、おせちのもとになりました。そして、江戸時代に五節句が祝日となると、大衆にも民間行事として広まったことで、節句のうち正月料理がおせちとして位置づけられ、現代に近い形に変わっています。

現代では和洋折衷のおせちなどが登場し、おせちは伝統的な料理にとらわれないものとなりつつありますが、これからも時代に合わせて変化していくのかもしれません。

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