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村上開新堂

ロシアケーキ12個入り

2,765(税込) 25pt

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商品説明

ここがオススメ

村上開新堂は、明治40年に初代村上清太郎によって京都の寺町二条に西洋菓子舗として創業。

大正後期から昭和初期にかけて、各種学校や自治会の菓子の注文百貨店内の食堂の喫茶を任されるなど、古くより国民的に愛されていました。

この「ロシアケーキ」は、戦時中の砂糖配給制の実施による店の休業を乗り越え、日本中が復興に向かって活気づく昭和30年ごろに発売されました。

クッキーより少しソフトな焼き菓子。
アプリコット・レーズン・ブドウジャムサンド・チョコの4種類の味を揃えました。

フレッシュバターの香りと生クリームのコクが広がる、昔から愛される焼き菓子です。

ロシアケーキ12個入り

村上開新堂は、明治40年に初代村上清太郎によって京都の寺町二条に西洋菓子舗として創業。大正後期から昭和初期にかけて、各種学校や自治会の菓子の注文百貨店内の食堂の喫茶を任されるなど、古くより国民的に愛されていました。

この「ロシアケーキ」は、戦時中の砂糖配給制の実施による店の休業を乗り越え、日本中が復興に向かって活気づく昭和30年ごろに発売されました。 クッキーより少しソフトな焼き菓子。

アプリコット・レーズン・ブドウジャムサンド・チョコの4種類の味を揃えました。
フレッシュバターの香りと生クリームのコクが広がる、昔から愛される焼き菓子です。





ここがこだわり

御所近く歴史継ぐ洋菓子店

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村上開新堂は明治40年(1907年)に寺町二条、現在の地に初代村上清太郎によって西洋菓子舗として創業いたしました。
昭和初期に建てられた洋風の建物は、表が木造漆喰の洋館、奥は和の日本建築と、当時では大変めずらしく最も贅沢な建造物でした。板ガラスのドアやカーブを描くショーウインドウ、高い天井や大理石の柱など当時のまま残されており、明治・大正の面影を色濃く残しています。また、店内に飾られた「開新堂」の書は明治の三筆の一人、日下部鳴鶴の揮毫です。
創業から現在に至るまでの歴史、お菓子の製法や味などの伝統を守りながら、新しい価値への創作をする事でお客様へより良い物を提供出来るよう邁進しています。

  • ロシア革命100年

    BEAMSクリエイティブディレクター

    青野賢一

    dummy

    京都の名店の上品ロシアケーキ

    2014年に公開された映画『シュトルム・ウント・ドランクッ』が、3月下旬に特別イベントとして2日間、2回だけ上映された。この映画は、1974年、寺山修司の「天井桟敷」に入団し、寺山の映画作品の美術や衣装を担当していた山田勇男さんが監督を務めたもの。大正時代に実在した無政府主義結社「ギロチン社」とそのメンバーたちの姿を、史実に基づきながらも山田監督らしい幻想的な映像を交えながら描いた作品である。

     

    1922年(大正11年)2月、中浜晢は旧知の古田大次郎(小作人社)と再会し、同年秋、早稲田に一軒家を借りて古田らとともに「ギロチン社」を創設する。中浜はアナキスト・大杉栄が携わっていた機関紙に投稿するようになり、大杉との交流もあった。翌年、関東大震災。この混乱に乗じて、憲兵大尉・甘粕正彦は大杉栄、伊藤野枝と甥で6歳の橘宗一を憲兵隊本部に連行。厳しい取り調べの末、大杉らは殺害され、遺体は古井戸に投げ込まれた。いわゆる甘粕事件である。ギロチン社の面々はこれに報復を誓い、メンバーのひとり、田中勇之進が甘粕大尉の弟・五郎を襲撃するも未遂。ギロチン社の資金源は、企業への恐喝が主だったが、中浜は1924年(大正13年)、恐喝罪で逮捕、投獄される。一方古田は爆弾製造に精を出し、谷中の共同便所、青山墓地を爆破。来たるべき本番に備えた。9月には本郷本富士署に爆弾を投じたが不発。関東戒厳司令官・福田雅太郎宅に小包爆弾を届け、これは爆発したが怪我人はなかった。その数日後に古田と、労働運動社でギロチン社や大杉とも親交の深かった村木源次郎が逮捕。しばらくしてギロチン社の倉地啓司も捕まってギロチン社に関わった全員が逮捕、中浜と古田は死刑となった。

     

    ギロチン社の面々をこうも突き動かしたのは何だったのか。先に記したように、この結社は無政府主義結社、つまりアナキスト(アナーキスト)たちのグループである。アナキズム(アナーキズム)とは「一切の権威、特に国家の権威を否定して、諸個人の自由を重視し、その自由な諸個人の合意のみを基盤にする社会を目指そうとする政治思想」であり、「近代政治思想としては、フランス革命後の1793年にイギリスのウィリアム・ゴドウィンが著した『政治的正義の研究』が著名である(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』)。以後、アナキズムは幾つかの方向に枝分かれしてゆくわけだが、総じてアナキストたちの思想的なバックボーンになっていたのは社会主義思想とその発展形態である共産主義思想だ。ここでこのあたりに深く触れると長くなるので割愛するが、大雑把にいえば、富める資産家だけでなく、労働者階級などの相対的に貧しい人々が政治に参画することで平等な社会を目指す考え方であり、資本主義社会を変革していこうという試みである。これを現実のものとしたのが1917年のロシア革命だ。

     

    ところで、大杉栄は甘粕事件で殺される6年前、短刀で首を刺されて殺されかかった。いわゆる「日陰茶屋事件」である。刺したのは大杉と恋愛関係にあった新聞記者の神近市子なのだが、神近は実は日本におけるロシア料理の発展に思いがけないかたちで関わっているのをご存知だろうか。

     

    新宿中村屋の看板メニューのひとつ、純印度式カリーは、インド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボースとの関わり––––店の裏のアトリエでボースを匿い、のちにボースは中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻の娘・俊子と結婚、日本に帰化して中村屋の役員を務めた––––から生まれたものだが、もうひとつの名物であるボルシチは、ウクライナ生まれの詩人ワシリー・エロシェンコを中村屋のアトリエに引き取ったことと関係している。エロシェンコは子どもの頃にはしかで視力を失い、イギリスの盲学校で日本の按摩の話を聞いて、何の伝手もないまま日本を訪れる。1914年(大正3年)のことである。エスペラント語を習得していたエロシェンコは、日本ではエスペランティストを頼りに生活し、その普及に努めていた。東京盲学校に入学し、マッサージと日本語を覚え、かねてより精通していたエスペラント語と詩作、それから音楽(彼は盲人オーケストラで働いていたことがある)などを交えて交友関係を広げたエロシェンコは、やがて劇作家の秋田雨雀、大杉栄、神近市子らと知り合うこととなる。ちなみに大杉はエスペラント学校を開いていたほどエスペラント語に通じていた。

     

    このように日本で少しずつ知り合いを増やしていったエロシェンコだが、1915年(大正4年)、秋田雨雀と神近市子がエロシェンコを相馬愛蔵・黒光夫妻に紹介した。やがてエロシェンコはひとりでも新宿中村屋を訪れるようになり、夫妻との親交を深めた。黒光がロシア文学好きだったことも関係しているのだろう。1916年(大正5年)になると、相馬夫妻はエロシェンコを中村屋のアトリエに引き取る(エロシェンコが金銭的に困窮していたため)が、数ヶ月後に東南アジア諸国への旅に出て、ふたたび中村屋に戻ってくるのは3年後の1919年(大正8年)であった。再来日後も朗読会に参加したり、黒光と合奏をしたりして過ごしながら、童話作品の執筆も行っていたエロシェンコだが、1921年(大正10年)、警官が中村屋に踏み込み逮捕されてしまう。ロシア共産党員つまり社会主義者の嫌疑で国外追放の命令が下ったためだ。この横暴な逮捕を非難して相馬夫妻は淀橋警察署長を告発。裁判所は夫妻を支持し、署長は辞職することとなったのだが、エロシェンコは中国にわたり、最終的にはロシアに帰還して中村屋のアトリエに戻ることはなかった。

     

    こうした中村屋とエロシェンコとの関わりは、エロシェンコが着用していたロシアの民族衣装「ルパシカ」が店員の制服として採用された(1921年)ことからも窺えるが、1927年(昭和2年)に開設された喫茶部(レストラン)で純印度式カリーと並んでボルシチがメニューに取り入れられたのは、エロシェンコとの思い出からである。ボルシチはエロシェンコの出身地ウクライナの家庭料理なのだ。中村屋はこのボルシチ以外にも、1921年(大正10年)からはギリシア系ロシア人の職人を雇い入れてロシアパンの製造販売を開始したり、1931年(昭和6年)には、ロシア人菓子職人スタンレー・オホツキーを招聘し、ロシアチョコレートやロシアケーキの製造販売を行うようになるなど、ロシアからの人材を多数受け入れてメニュー開発に生かしている。これは黒光がロシア文学に傾倒していたことと、ロシア革命を逃れて日本に亡命するロシア人が少なくなかったという事情に起因しているのである。

     

    さて、オホツキーの教えに基づき中村屋で製造販売されたロシアケーキは、ケーキの名がついてはいるが焼き菓子の一種。現在、新宿中村屋では扱いがないが、オホツキー直伝のロシアケーキ作りを引き継いでいる「館山中村屋」(1919年創業で創始者は新宿中村屋が新宿に出店する前の本郷東大前の店に勤めていた)をはじめ、いくつかの店で入手可能だ。私は先ごろ同志社大学の講義のために京都を訪れた際、「村上開新堂」にて買い求めた。村上開新堂は1907年(明治40年)、京都は寺町二条に西洋菓子舗として開業し現在も同じ場所で商いを続けている老舗である。ちなみに東京にある同名の店は京都の創業者の叔父が立ち上げたものだ。同店ホームページによれば、こちらのロシアケーキは戦後10年ほど経ってから(昭和30年代)本格的に製造を開始したということで、比較的新しい部類になるのだろうか。それでももう60年以上は経過しているが。店先に花が出ていたのでなんだろうと思ったら、3月末、店舗の奥にカフェをオープンしたそうである。

     

    ロシアケーキは全部で5種類。アプリコット、レーズン、ブドウジャムサンド、ゆずジャムサンド、チョコがある。それぞれバラでも購入できるが、せっかくなので箱入り(12個)をお願いした。手際よく包装紙をかけてくれるのが心地よい。

    包装紙を解くと、ヴィヴィッドな赤いリボンにハッとさせられる。これを外すと箱が出てくる。白地に金箔押しのクラシカルで上品な佇まいである。蓋を持ち上げてようやくロシアケーキにご対面と相成る。

    整然と並んだ焼き菓子は実に美しく心惹かれる。写真でおわかりとは思うが12個入りは4種類×3個。ここにはゆずジャムサンドが含まれていないので(家に持ち帰ってから気づいた)、そちらは次の機会まで楽しみにとっておくこととしよう。

    ロシアケーキの製法上の特徴は「二度焼き」なのだそうだ。生地が二層になっているのはそのせいである。ジャムが使われているのはロシアにジャム文化が発達しているから。ジャムが添えられる「ロシアンティー」を思い起こしてもらえれば理解しやすいのではないだろうか。それからチョコレートもロシアではよく知られる菓子なので、ここでもしっかり使用されている。生地の食感はやや堅め。バターの風味も感じるが、それほど主張するわけでもなく、クドさはまるでない。これが飽きずにいただける秘訣ではなかろうか(とはいえひとつひとつはそれなりにボリュームがある)。甘さも控えめな印象だ。

    繰り返しになるが、今年はロシア革命から100年。それを気に留めているからか、最近はロシアに関連した物事に目がいく。蛍光灯を使った作品で知られるアメリカのアーティスト、ダン・フレイヴィンの展覧会(表参道「エスパス ルイ・ヴィトン東京」で開催中)に出展されている「”Monument” for V. Tatlin」は、ロシア構成主義のアーティスト、ウラジミール・タトリンと彼がレーニンから依頼されて設計したロシア革命を記念する「第三インターナショナル記念塔」へのオマージュとして制作された作品だ。あるいはタトリンやマレーヴィチとも親交のあったポーランドのアーティスト、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの晩年を描いたアンジェイ・ワイダ監督の遺作『残像』(6月10日より岩波ホールにて公開)では、ロシア・アヴァンギャルドに影響を受けたストゥシェミンスキについてはもちろん、舞台である第二次大戦後のポーランドがソ連のスターリニズムに徹底的に支配、管理されていた様子もひしひしと伝わってくる。また、森アーツセンターギャラリーでは「大エルミタージュ美術館展」(6月18日まで)が開催中、映画『エルミタージュ美術館 美を守る宮殿』は4月29日公開と、帝政ロシア期に設立された世界三大美術館のひとつを取り上げた展示、映画作品にも触れることができる。帝政ロシアといえば、エカテリーナ2世は客を招いての豪勢な晩餐にはフランス風の料理でもてなし、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の食事もフランスの影響を受けたものであった。そう考えると、大正から昭和初期に中村屋で雇い入れたロシア人の料理人たちは、ロシアの伝統的な料理だけでなくおそらくはフランス料理もある程度習得していたのではないだろうか。だとしたらロシアケーキの大元がフランス菓子という説があるのも頷ける話である。

  • 京都・村上開新堂とロシアケーキの謎

    アートディレクター・食文化研究家

    後藤晴彦(お手伝いハルコ)

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    懐かしいロシアケーキ

    フランスパンは日本での呼び方で、フランスでは「バゲット」、しいて言うなら「パン・フランセ」。山形の食パンのイギリスパンは、「ホワイトブレッド」で日本ではポルトガル語読みの「エゲレス=イギリス」にパンがついたもので、フランスでは「パン・ド・ミ」。これらは、名称違えども本国にはちゃんとある。それでは、「ロシアパン」はどうだろうか?

     

    ロシアのパンも、白パン、ライ麦パン、黒パンなどにおなじみのピロシキと多彩である。しかし、日本で固有名詞の「ロシアパン」というと、ロシアの古いパンを日本で模して作られた菓子パンである。このロシアパンは「新宿中村屋」のHPから引用すると1917年(大正6年)にロシア革命が起こり、多くのロシア人が海外へ亡命・移住し日本にパン職人のギリシア系ロシア人キルピデスが採用されて1921年からロシアパンの製造・販売を開始したとある。ここで、本国ロシアのパンが日本人の趣向に合わされて独自の進化をする。おなじく今度は「ロシアケーキ」であるが、これも「新宿中村屋」1931年に新宿中村屋がロシアから製菓技師のスタンレー・オホッキーを家族ごと日本へ招聘したとあり、その当時としては破格の年俸四千円という待遇だったと。現在の貨幣価値では正確に計れないが、その当時のサラリーマンの平均年棒が738円で5.5倍、現在の940万円に相当する。このスタンレー・オホッキーは、ロシア皇帝のお抱えの製菓技師ともあるが、ロシア革命から14年後の来日で、新宿中村屋で掲載の写真を見るとそんな歳には見えなく、果たしてニコライ2世の時代の職人なにだろうかと思った。

    それは、さておき新宿中村屋ではロシアパン、ロシアケーキを大々的に販売し、オホッキーに指導を受けた職人達が独立したりして、ロシアにも無い「ロシアケーキ」が広まっていくのである。子供の頃、たまにこの「ロシアケーキ」を食べていた記憶があるが、子供心に「ケーキというより、ビスケットじゃないか」と思っていた。ケーキという名前は付いているが、ロシアケーキは焼き菓子で、ビスキュイ(ビスケット)を焼き、アーモンド、ピーナツ、砂糖などを用いたマコロンをその上に絞りつけ、さらに焼きつけるという二度焼きなのだ。別名「ロシアクッキー」とも呼ぶことがあるが、ビスケットもクッキーも同じ意味である。

    さて、長々と書いてきたが今回紹介するのは、京都「村上開新堂」のロシアケーキである。京都をあても無く散歩するのが大好きで、ある時にばったり「村上開新堂」の前に来た時は「おっ、村上開新堂だ!」と喜んで店に入ったのが最初だった。東京の「村上開新堂」は紹介者が必要で(紹介してもらい会員になるシステム)敷居が高いが、京都の「村上開新堂」は紹介者に関係なく店内で購入できる。

    京都・寺町二条にある「村上開新堂」は昭和初期に建てられた洋風の建物で(開業は1907年・明治40年)、表が木造漆喰の洋館、奥は和の日本建築になっていて、板ガラスのドアやカーブのショーウインドウ、高い天井や大理石の柱などは、明治・大正の面影を色濃く残している好きな佇まいで、京都らしいと言えば京都らしい老舗だ。

    池波正太郎もエッセイの中で「好事福盧(こうずぶくろ)」の事を書いているが、今回は「ロシアケーキで、アプリコット、レーズン、チョコレートの箱入り。やはり、ロシアケーキは何だかソフトな生地やバターの風味でそんなに甘くなく懐かしい、郷愁の味がする。次には「クッキー缶」が欲しいのだが、少量生産のために予約制なので、いつ買えるだろうか。やはり、京都に来て京都で買わなくては!

  • 東京と京都は別の店?!と?ちらも100年超の老舗洋菓子店「村上開新堂」の逸品

    ippin編集部のお取り寄せ

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    東京、京都ともに同じ名前のお店があり、どちらも創業100年超の老舗洋菓子店である「村上開新堂」。

    実は違うお店だってこと、ご存知でしたか?

     

    東京の村上開新堂のお菓子は、既に利用したことがある方からの紹介登録制で、購入の予約も登録後にできます。それも全て手作りのため1日に出来る量が限られているから。

    一方、京都の村上開新堂は、伝統的かつモダンなカフェを併設するなど、それぞれに歴史を感じる特徴があります。

    どちらも手間をかけて作られているからこそ貴重なお菓子。ぜひ一度お試しください。

    1:【京都】キャラメルクリームが絶品!新作ダックワーズ

    京都の「村上開明堂」ではロシアケーキが良く挙げられますが、こちらはダックワーズ。ケーキ屋さんでよく見かける少し脇役的な存在ですが、このダックワーズを食べたらリピーターになること間違いなしです。30年ぶりの新作という村上開新堂の自信作。外側がパリっとしていて食べるとしっとりとした生地。それに加えて中のキャラメルクリームの上品なことと言ったら、思わず誰かにシェアしたくなる美味しさです。是非お試しください。

    2:【東京】生菓子なら手に入る?待てない人への小さなケーキ

    東京半蔵門にある村上開明堂のクッキーは、予約をしても何ヶ月も待たないと手に入らず、そんなに待てない!という方もいるはず。そんな方は生菓子にトライしてみてください。予約をしておけば、何ヶ月も待たなくても買うことができるのです。村上開新堂の三代目が完成させた小さなケーキは、ここにしかない優しいお菓子。ご覧の通りのかわいいパッケージで、手土産にはぴったり!必ず入っているお花のカードもとても美しく、貰った方も喜ばれるに違いありません。

    3:【京都】驚きの滑らかさ!京都村上開新堂の寺町バニラプリン

    京都の村上開新堂で、35年ぶりに新しく作られたのがこちら「寺町バニラプリン」。

    100年を超える老舗洋菓子店が今もなお、村上開新堂らしい新しい手作りお菓子を作っているなんて洋菓子に対する真摯な向き合い方に頭が下がります。定番商品はもちろん安定の味ですが、是非こちらのプリンを一度食べてみてください。まずその滑らかさに驚くはず。濃いめのキャラメルソースとの相性も抜群です。そして上品なパッケージにスプーン付きの心遣いが嬉しいですね。

    4:【京都】1度は食べたい定番のロシアケーキの詰め合わせ

    ケーキという名前は付いているものの、焼き菓子の一種であるロシアケーキは京都の村上開新堂の代表的な焼き菓子です。アプリコット、レーズン、ぶどうジャム、ゆずジャム、チョコの5種類があり、バラバラでも購入できますが、上品な包装を楽しめる「箱入り」をおすすめします。丁寧に包まれた2パターンの包みを開けると、出てくるロシアケーキ。2度焼きが主な製法のため、生地が2層に分かれており、ジャムを引き立てる焼き加減が絶妙です。

     

    [紹介記事]

    ロシア革命100年

     

    5:【番外編】5代目山本道子さんのマーブルクッキーの可愛さ

    紹介がないと購入すらできない東京の村上開新堂。その5代目の山本道子さんが、もっと手軽に食べて欲しいとの思いを込めて作った「山本道子の店」というお店があります。

    村上開新堂では買えない方でも、その味を引き継いだ焼き菓子ならこちらで購入できるんです。定番のマーブルクッキーは、チョコと抹茶の2種類がぎっしり入っていて、模様も可愛らしくお皿に並べてみたくなります。その絶妙な薄さについついもう1枚手が伸びてしまいます。この秋から予約制になるそうですが、是非食べてみてください。

商品詳細

  • 賞味期限:
    製造日より14日間
  • 保存方法:
    常温
  • アレルギー物質:
    小麦、卵、乳
  • 内容量:
    12枚入り
    【原材料】小麦粉・砂糖・バター・卵・牛乳・生クリーム・チョコレート・ベーキングパウダー
    【贈答対応】熨斗対応可
  • 梱包サイズ:
    4cm x 19cm x 25cm
  • 温度帯:
    常温
  • 商品番号:
    russiacake

店舗名

村上開新堂

村上開新堂のご利用ガイド

送料・配送料について

配送業者:ヤマト運輸 一部配送地域(離島など)や、天候・交通事情によりお届けまで日数をいただく場合がございます。

返品について

☆☆☆ 返品について☆☆☆ ■商品の不良による返品 ご注文の品と違う商品が届いてしまった場合、商品の破損・傷みなどの品質上の問題があった場合には、商品到着の日から3日以内にご連絡いただければ、返品を受け付けます。 【返品条件】 返品をご希望のお客様は、配達日から3日以内にメール・電話にてご連絡ください。4日目以降の返品はできません。 【連絡先】 電話:075-231-1058 担当者:村上彰一 受付時間:10:00~18:00 日祝第3月曜を除く メール:info@murakami-kaishindo.jp 【返送先】 〒604-0915 住所:京都府京都市中京区寺町通二条上る常盤木町62

お支払い方法について

■銀行決済

【銀行名】三井住友銀行 【支店名】京都支店 【口座種別】普通 【口座番号】584599 【口座名義人名】有限会社村上開新堂 【口座名義人名 カタカナ】ユウゲンガイシャムラカミカイシンドウ 【お振込期限】ご注文日より3日以内にお振込み下さい。

■代金引換
商品価格合計
代金引換手数料(税込)
0円 ~ 9,999円
330円
10,000円 ~
440円

営業日注意事項について

営業時間/10:00~18:00 休業日/日曜・祝日・第三月曜

会社概要

会社名
有限会社 村上開新堂
住所
〒604-0915
京都府 京都市中京区 寺町通二条上る常盤木町62
TEL
075-231-1058
FAX
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